皆さん、こんばんは。イチカラセイジです。
このブログは1985年生まれで、奥様と息子の3人家庭を持つイチカラセイジが、イチカラ家の日常を通じて得た同世代に役立つ情報をつづっているブログです。
「子どものこと、お金のこと、家のこと、政治のこと」を中心に毎日発信をしています。
本ブログでは毎週水曜土曜日曜には、政治初心者向けに興味関心が持てるような記事を発信していきます。
今回も、茂木誠氏著「世界の今を読み解く政治思想マトリックス」から学ばせて頂き、イチカラセイジの目線を加えて発信をさせて頂いています。
初心者にもわかりやすく、政治に関心が持てる素晴らしい一冊ですので、ぜひ購入し読んでいただければと思います。
さて本日は、「行き過ぎた自由主義から誕生した社会主義〜社会主義から共産主義の流れまで〜」というテーマでつづってまいります。
前回、「#49 政治思想としての資本主義〜ナポレオンの敗北は、自由主義への敗北でもあった〜」では、主に以下の部分についてお伝えさせて頂きました。
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資本主義のはじまりは、宗教的思想の対立から誕生した「禁欲&投資」というプロテスタントの教えから始まった政治思想
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ナポレオン戦争は、自由主義と保護主義の戦争だった
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拡大する自由主義は、極度な経済的格差を誕生させ、各国における社会不安による内乱や、地球環境の悪化を招いた → 社会主義思想の誕生につながる
今回は、この先、社会主義思想の誕生につながった話の先を綴ってまいります。
それでは宜しくお願い致します。
社会主義の思想とは
行き過ぎた自由主義の先に待っていたものは、「貧富の格差」でした。
「資本主義社会は間違っている!」「負け組をこれ以上増やして良いのか!」「個人の自由よりも平等を重視しよう!」
こういった思想は、「社会主義」と言われています。
では、どうすれば平等が実現できるのか。
土地や工場といった「生産手段」を地主や産業資本家から没取し、それを平等に人民に分け与えようと考えたのです。
これを実行したのが、フランス革命におけるジャコバン派(山岳派)です。
過去の記事でも記載しましたが、いわゆる過激派と呼ばれるグループでした😡‼️
「土地私有を基盤とする階級制度を打破し、地主や資本家を倒して人民主権を実現せよ」と叫び、抵抗するものは逮捕され、処刑されていきました。
このあまりの恐怖政治に民衆の支持が離れていき、ジャコバン派政権は、内部分裂を起こしてお互いに殺し合い、資本家階級によるクーデターで倒されました。
基本的に、「平等」を強く叫び過ぎているなぁ〜と感じる方々においては、この社会主義思想というのが強くある傾向にあります。
そして、近代においてもそういった過激派グループの内ゲバ(※)などがありました。
内ゲバとは、内部ゲバルトの略。ゲバルトはドイツ語で「威力、暴力」の意味で、同一陣営または同一党派などの内部での暴力を使用した抗争のこと。 一般的には、左翼党派内または左翼党派間、特に日本の学生運動や日本の新左翼党派間での暴力を使用した党派闘争を指す場合が多い。 ウィキペディア
パリ・コミューンの崩壊から共産主義宣言
1871年、パリ・コミューンという史上初の労働者政権が誕生しました。
これはフランス革命と同じように、武装した労働者が、産業資本家や軍・警察を倒し、国家そのものを解体するもので、その後は、それまでの工場を自治組織を結成して自治をしていくといった考え方で、無政府主義(アナーキズム)と言われています。
ですが、このパリ・コミューンも政府軍との戦争によってわずか3ヶ月で崩壊しました。
「パリ・コミューン」の崩壊によって、政治を政治献金という形で動かせることができるブルジョワジー(資本家)は手強いということを再確認した、カール・マルクスはエンゲルスとともに「共産党宣言」(1848)を発表して世界革命を呼びかけていました。
マルクスはこう考えました。
「ブルジョワジーと戦うためには、無政府主義(アナーキズム)ではダメだ。労働者(プロレタリア)自身が強力な政府と軍隊を掌握することが必要だ」
つまり、平等を実現するためには、労働者自身が独裁権力を持つべきである。
と考えたのです。
ですが、現実には当時の労働者の大半は読み書きも不自由という状況でした。
いきなり国家運営といっても難しい話です。
そこで、一部の知識人があらかじめ組織をつくり、革命の最前線に立つべきだと考えたのが、ロシアのレーニンです。
そしてその革命の最前線にたっていたのが「共産党」であり、優れた指導者が人民を指導すべきだという理論に行き着いたのです。
他方、パリ・コミューンのような流血の事態を恐れたブルジョワジーは、労働者に譲歩していく方向性がとられていきます。
白人労働者の労働条件を改善したり、選挙制度を改正し、白人労働者にも参政権を与えました。
政府に不満があるなら、暴力ではなく、投票で訴えなさい、ということです。
これによって、暴力革命を否定し、議会政治を通じて社会主義を実現しようと動き出した、各国議会で労働党や社会党、社会民主党といった名前の政党でした。
暴力革命ではなく、立法によって社会主義へ移行しようと考えました。
この「修正主義」と呼ばれる考え方が、我が国・日本にもあり、現在に至っているというわけです。
まとめ
- 貧富の格差を拡大させる資本主義を否定し、個人の自由よりも平等を大切にする思想を「社会主義」という
- 社会主義を実現する為に、フランス革命ではジャコバン派が粛清を行い、「無政府主義」(アナーキズム)がパリ・コミューンという初の労働者政権をつくった
- 「無政府主義」(アナーキズム)では、ブルジョワジー(資本家)に対抗できないと考えたカール・マルクスやエンゲルスは「共産党宣言」を発表した
- ブルジョワジーは、労働者たちに譲歩しはじめ、選挙制度改革や労働条件の改善が行われた
- 暴力革命ではなく、議会を通じて社会主義を実現しようという「修正主義」に基づく政党が増加した
当時の流れは、暴力革命ではなく、立法を通じて社会主義を実現しようという「修正主義」に基づく活動でした。
その考えがある中で、時代遅れのマルクスの考えが蘇ってしまった国が誕生しました。
「自由と平等」を!と言う言葉を使っている人がいますが、こういった発信をしていると我々の世界において相反している言葉を一緒に使っていると感じます。
そして、
平等を実現するためには、個人の自由を制限しなくてはできないことを。自由を最大限に尊重するのであれば、格差は広がり、平等にはならないこと。
考えさせられます。
こういったことがわかるかわからないかで、時に人は評価されます。
一つ一つの言葉の選び方使い方にも気をつけなくてはいけないな、と学ばせて頂いています。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた明日。
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