皆さん、こんばんは。イチカラセイジです。
このブログは1985年生まれで、奥様と息子の3人家庭を持つイチカラセイジが、イチカラ家の日常を通じて得た同世代に役立つ情報をつづっているブログです。
「子どものこと、お金のこと、家のこと、政治のこと」を中心に毎日発信をしています。
本ブログでは毎週水曜土曜日曜には、政治初心者向けに興味関心が持てるような記事を発信していきます。
今回も、茂木誠氏著「世界の今を読み解く政治思想マトリックス」から学ばせて頂き、イチカラセイジの目線を加えて発信をさせて頂いています。
初心者にもわかりやすく、政治に関心が持てる素晴らしい一冊ですので、ぜひ購入し読んでいただければと思います。
なにより凄いのが、面白いところ。出会えたことに感謝致します。
さて本日は、「#56 リベラルの概念が逆転した瞬間「大きな政府と小さな政府」というテーマでつづってまいります。
前回本ブログでつづったのが、「#55 『平等だが、自由ゼロ』20世紀最も左の思想・ソヴィエト連邦設立まで」でした。
簡単にまとめると、以下のような流れでした。
- ロシア革命運動前のロシアは、中世ピザンツ帝国の流れのまま、政教一致の国家であった
- 産業革命も起きていない中、先ず農民革命(大規模一揆)の動きをきっかけに、皇帝による農奴解放令が行われた
- 農奴解放令が不十分だった結果、ナロードニキ過激派によって皇帝が殺害。社会革命党が設立された
- 社会主義革命の手法の違い(二段階革命、二連続革命)から、メンシェビキ(少数派)、ボリシェビキ(多数派)、社会革命党に分裂。
- ボリシェビキのレーニンが、「戦争を革命に転化せよ」の大号令のもと、日露戦争、第一次世界大戦と戦争続きで国力が弱回っていたケレンスキー政権を武力で倒す
- ボリシェビキ改め、ロシア共産党を設立し一党独裁政権に。1922年に世界初の社会主義国家・ソヴィエト連邦を設立。
- ソヴィエト連邦が70年続いたのは、徹底したロシア共産党による国民監視。
- 「平等のかわりに自由はゼロ」という監獄社会を完成させたのが、スターリン
本当であれば、初の社会主義国家・ソヴィエト連邦がどのようにして崩壊していくのかという部分についても、掘り下げてお伝えしたいところですが、あくまでテーマは「政治思想」ということで、ロシアにおける政治思想の移ろいは、一旦ここで終わりにしたいと思います。
今回からの舞台はアメリカになります。
第一次世界大戦をきっかけに「経済成長→バブル→バブル崩壊→世界大恐慌」を辿るアメリカ
第一次世界大戦で、イギリスを筆頭とするヨーロッパ諸国が疲弊する一方で、アメリカは着々と経済大国への地位を築いていました。
アメリカが世界の覇者へと成長できたのは、第一次世界大戦のおかげと言っても過言ではありません。
さらにアメリカは戦時国債でも大儲けをしています。イギリスを始めとする連合国は、軍事費を捻出するために戦時国債を発行しました。アメリカの証券市場で売買されていたのです。
第一次世界大戦が連合国の勝利で終わった後戦時国債の償還(返済と言う形にして、アメリカには大量のマネーが流れ込みました。
こうして集まった資金をウォール街の金融資本は低金利ですごい助けます20世紀初頭株価が上がり続けるアメリカ。学生も主婦も投資に夢中になり空前の好景気となりました。
そうした中、1920年代半ば、ヨーロッパでは第一次世界大戦の傷が徐々に回復していきます。
1929年自由主義経済を購入し続けてきたアメリカの経済がついに破綻をします。
1929年9月を境に株価は下がり始め、1929年10月29日ブラックチューズデーと呼ばれる株価の大暴落により、暴落開始から1週間で300億ドルが吹き飛びました。
これは当時のアメリカ連邦政府の10年分の国家予算と同等だと言われています。
この影響は瞬く間に世界に広がっていきましたいわゆる世界恐慌です。アメリカの失業率は25%にも達しました。
職を失い家賃もローンも家を失い路頭に迷った人々は思いました。共産党政権の下、統制経済で1人の失業者も出していないソ連が、理想国家のように映ったのです。当時はもちろんソ連の実態と言うのはまだ知られていませんでした。(実際はこの間スターリンの五箇年計画によって多くの犠牲者ウクライナでは共産党政権による穀物の挑発によって百万人規模の餓死者が出ていましたがこれらが明らかになるのはソ連崩壊後となります)
こうして西側諸国でもソ連型の計画経済を評価する声が広がっていきました。アメリカでもドイツでも日本でもソ連型の国家指導の計画経済が実行に移されていました。
古典派経済学の父であるアダムスミスは統制経済に反対していました一方で教皇のような非常時に神の見えざる手は発動しない。
デフレを脱却するためには政府が積極的に公共投資を行い雇用創出して失業者を減らすべきだ。こういったケインズの経済学が浸透してきました。
この時アメリカでは民主党のフランクリンルーズベルト大統領が登場し経済政策を次々に打ち出してきました。
これがニューディール政策です。詳しくは割愛しますが、政府が積極的に市場に介入をして生産量や価格をコントロールしていく。
そして大規模な公共事業を積極的に行っていく政策です。
リベラルの概念が逆転した瞬間
政治思想を考えていく上でm非常に重要な点はこの時ルーズベルト政権が、「我々こそがリベラル」だと主張した事と著者は語っています。
リベラルの思想は、もともと個人の自由と権利が最大限に尊重される自由主義の考え方であり、その逆が共同体である国家家族そういった価値観伝統を大切にしていくのが保守でした。
ところが、ルーズベルト大統領がリベラルの意味を大きく転換しました。
彼の言い分は、自由主義を放任してきた結果、貧富の差を拡大し、個人を不幸にした。
「国家が責任を持って個人の生活を守るべきであり、社会保障しっかりと提供し、一人ひとりの生活の面倒見るべきなのだ。これが本当のリベラルだ」と。
こうして、これまでのリベラルの概念において、逆転現象が起きました。
このルーズベルトのリベラルの価値観と言う概念が、今日のリベラルを作っています。
手厚い社会保障これを実現するための強力な政府と、巨大な官僚機構。
つまり大きな政府となります。
アメリカでは世界恐慌以降、左派であるリベラル(民主党)が、大きな政府による平等分配を推し進めるようになりました。
対局にあるのが、個人の自由を尊重し福祉は最小限に抑えて減税を要求するのが「小さな政府を求める」思想です。
これが、アメリカにおける保守主義の思想なのです。
このようにリベラルと保守の意味が逆転したまま現在になり、日本でも直輸入されて使われています。
19世紀的な思想軸では、もはや今の世界を説明することができません。
現代の政治思想を読み解くキーワードとして役立つのが、ナショナリズムとグローバリズムの考え方です。
次回はこの2つの主義について加えていきたいと言うふうに思います。
まとめ
- 第一次世界大戦において、中立宣言を行なっていたアメリカが経済的には一人勝ち状態になった
- 大量に流れ込んできたマネーをアメリカ企業に低金利で貸し出すことで、大量生産&大量消費時代に
- いつまでも続くと思われていた好景気が、株価と実態経済の乖離を促進させていく
- バブルが弾け、世界大恐慌へと発展
- 資本主義に絶望した人間たちは、ソ連社会主義による統制経済を称賛しはじめる
- 恐慌時には、国家が市場へ積極介入し、生産量や相場をコントロール、公共事業を増やし、失業者を減らしていくという考え方(ケインズ経済)が浸透する
- これまでのリベラルの概念を逆転させたのが、フランクリン・ルーズベルト大統領。
- 以降アメリカにおいては、「大きな政府=リベラル、小さな政府=保守」となり、これが我が国日本においても直輸入されている考えとなる。
今回はここまでとさせて頂きます。
次回は、ナショナリズムとグローバリズムがどのようにこれらの価値観と合わさっていくのかについて、お伝えしていきたいと思います。
どんどん思想や主義が複雑に重なり合ってきています。
しっかり整理するタイミングも設けていきたいと思っていますので、楽しみにしていてください。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた明日。
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