#67 自民党本流と保守本流を分つ4つの観点

一から政治

皆さん、こんばんは。イチカラセイジです。

 

このブログは1985年生まれで、奥様と息子の3人家庭を持つイチカラセイジが、イチカラ家の日常を通じて得た同世代に役立つ情報をつづっているブログです。

「子どものこと、お金のこと、家のこと、政治のこと」を中心に毎日発信をしています。 

 

本ブログでは毎週水曜土曜日曜には、政治初心者向けに興味関心が持てるような記事を発信していきます。 

 

さて本日は、「#67 自民党本流と保守本流を分つ4つの観点」というテーマで綴っていきたいと思います。

 

田中秀征氏著「自民党本流と保守本流〜保守二党ふたたび〜」からお届けさせて頂きます。

先ず本著について、簡単にご紹介させて頂きます。

 

田中秀征、1940年長野県生まれ。東京大学文学部西洋史学科、北海道大学法学部卒業。

83年に衆議院議員初当選。93年6月に新党さきがけを結成し代表代行に就任。

細川護煕(ほそかわ もりひろ)政権の首相特別補佐。

第1次橋本龍太郎内閣で経済企画庁長官などを歴任。

福山大学教授を30年務め、現在、福山大学客員教授、「民権塾」塾長。

主な著書に『日本リベラルと石橋湛山ーいま政治が必要としていること』(講談社)、『判断力と決断力ーリーダーの資質を問うー』(ダイヤモンド社)など。

 

これまで、「一から政治」シリーズでは、「政治思想の軸」についてわかりやすくお伝えしてきました。

 

その視点をもって、では我が国「日本」の政治観について、戦後政治から現在に至るまで、主役となってきた「自由民主党」。

 

自由民主党の政治観、政治思想を見ていくことが、実は自国の近代史を理解する上でもすごく重要なことですので、一緒に勉強できればと嬉しいです。

 

今回も読んでいただければきっと面白いものになるかと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

自民党本流と保守本流を分つ思想軸

本著では「岸信介思想=自民党本流の源流」、「石橋湛山思想=保守本流の源流としています。

岸信介はみなさんご存知のとおり、安倍元総理の祖父にあたる方です。

石橋湛山は自由民主党第2代総裁。鳩山一郎の後、昭和31年(1956年)12月に首相に就いたものの一ヶ月後に病に倒れ、その一ヶ月後に病気退陣を表明、岸信介に政権を明け渡した人物です。

 

この二人を中心に自民党本流及び保守本流それぞれの考え方や、実際の政治闘争、政局を分析しています。

 

本著の中でも、個人的にこの二人の思想を分つそもそも思想軸として記載されていた「4つの観点の違い」が非常にわかりやすかったです。

 

「岸信介と石橋湛山、主な4つの思想観の違い」を以下、端的に記載致します。

 

①歴史観

石橋湛山:大東亜戦争(太平洋戦争)は国策の誤りであり、深い反省心に基づく思想基盤

岸信介:大東亜戦争(太平洋戦争)は正当防衛であるという思想基盤

 

②憲法観

石橋湛山:憲法改正は重要視しつつも、「憲法第9条の戦争否定の精神はあくまで我が国是として存置する」と唱える

岸信介:冷戦の激化によって不安定化が進むアジアで、丸腰中立のような外交防衛体制では対応できないという認識であり、国家の基本法である憲法が他国によって起草され改憲すべきものと唱える

 

③経済観

石橋湛山:自由経済の中で必要な統制を考える<自由経済寄り>

岸信介:統制経済の中で自由を考える<統制経済寄り>

 

④国のかたち

石橋湛山:大日本主義、大アジア主義を否定。小日本主義を標榜する

岸信介:大アジア主義、あるいは大東亜共栄圏思想が原点

 

内閣総理大臣のバトンを渡した人間と、託された人間。

それぞれの「歴史観」「憲法観」「経済観」「国のかたち」がここまで乖離がある中で、一つの政党として成立していることが凄いですよね。

 

行動するから結果が出る。

 

日々の言動が行動になる。

 

その人自身の思想が言動に繋がる。

 

つまり、その人が持つ思想が最終的な結果に繋がります。

 

この①〜④の考えを国の政治家に問う事で、その人の思想基盤がわかり、最終的にどういった結果を生み出そうとしているのかが見えてくると私は考えています。

 

そしてこの「4つの価値観」は、政治家だけでなく、国民すべてが本来持っているものです。

 

勉強しているしていないというのも、この価値観を作っていくうえで影響しますが、その人自身が育ってきた社会環境、親の価値観、こういった外部要因も大きく影響します。

 

あなたはこの4つの価値観をどのように持っているでしょうか。

 

石橋湛山思想、保守本流とは何か?

政党の本質というのは、「綱領」に現れています。

 

そこで、自由民主党になる前、昭和30年「保守合同」前、旧日本自由党の掲げていた綱領を見たいと思います。

 

終戦直後の昭和20年(1945年)11月9日に日比谷公会堂で結党大会を開いた際に、採択された綱領の中には次のように書かれています。

 

「一、自主的にポツダム宣言を実践し、軍国主義的要素を根絶し、世界の通義に則って新日本の建設を期す」

 

この一文が、保守本流の思想を最も表していると私は思っています。

 

これはポツダム宣言を不承不承受諾するというより、新しい国家建設のために積極的に受け入れるということです。

強制されなくても自主的に実践するという意向も示しています。

 

こういった姿勢を今の感覚で捉えてしまうと、「弱腰だ!」とか「日本の再興を妨げている!」とか、思われる方もいたでしょう。

ですが、一方で深い反省を原点に、真面目に忍耐を持って一つ一つ積み重ねて日本を再興しいていく古き良き日本人と言いますか、愚直な姿勢とも言えるのではないでしょうか。

 

岸信介思想、自民党本流とは何か?

石橋湛山思想、保守本流を「ポツダム体制派」とするのであれば、岸信介思想、自民党本流は明確な反ポツダム体制派であったといえます。

 

時代はまさに戦後まもなくですので、普通に考えて石橋湛山のポツダム体制派が大勢を占めていたといえる中、反ポツダム体制派を明確に打ち出していくことは非常に難しいのは明確です。

そういった中、米ソ冷戦の勃発。

 

当時、蒋介石の国民党中国と組んで日本を徹底的に弱体化するというアメリカの方針は通用しなくなっていきました。

米国の対日方針転換は昭和23年、米陸軍長官ロイヤルの演説によって始まりました。

 

いわば、「弱体化の対象」だった日本から米ソ冷戦、鉄のカーテン戦略を軸に「強化すべき対象」へと日本が変わっていったタイミングです。

 

対日方針が百八十度変わったことで、機運が岸信介に向いてきました。

 

昭和30年(1955年)11月15日の保守合同、自由民主党の結成は、米ソ冷戦の世界的な激化と、それに伴う国内の過激な左翼勢力の急伸長に対抗するために断行されました。

当時は、保守内対立の一時休戦といった形で始まりましたが、相反する社会党の統一と互いに影響を与えながら進行し、細川護煕政権になるまで有名な55年体制に至ったのです。

 

 

いかがでしたでしょうか❓

 

私が大好きな田中秀征先生の一冊「自民党本流と保守本流」の中から、個人的に自民党本流と保守本流とはどういったものなのかを記載した部分を、解釈してお伝えさせて頂きました。

 

また明日も「一から政治」シリーズとしてお届けしてまいります。

引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。

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