皆さん、こんばんは。イチカラセイジです。
このブログは1985年生まれで、奥様と息子の3人家庭を持つイチカラセイジが、イチカラ家の日常を通じて得た同世代に役立つ情報をつづっているブログです。
「子どものこと、お金のこと、家のこと、政治のこと」を中心に毎日発信をしています。
本ブログでは毎週水曜土曜日曜には、政治初心者向けに興味関心が持てるような記事を発信していきます。
今回も、茂木誠氏著「世界の今を読み解く政治思想マトリックス」から学ばせて頂き、イチカラセイジの目線を加えて発信をさせて頂いています。
初心者にもわかりやすく、政治に関心が持てる素晴らしい一冊ですので、ぜひ購入し読んでいただければと思います。
なにより凄いのが、面白いところ。出会えたことに感謝致します。
さて本日は、「#59 アメリカ合衆国の伝統的な政治思想は「自主独立」「孤立主義」」というテーマでつづってまいります。
前回本ブログでつづったのが、「#56 リベラルの概念が逆転した瞬間『大きな政府と小さな政府』」でした。
簡単にまとめると、以下のような流れでした。
- 第一次世界大戦において、中立宣言を行なっていたアメリカが経済的には一人勝ち状態になった
- 大量に流れ込んできたマネーをアメリカ企業に低金利で貸し出すことで、大量生産&大量消費時代に
- いつまでも続くと思われていた好景気が、株価と実態経済の乖離を促進させていく
- バブルが弾け、世界大恐慌へと発展
- 資本主義に絶望した人間たちは、ソ連社会主義による統制経済を称賛しはじめる
- 恐慌時には、国家が市場へ積極介入し、生産量や相場をコントロール、公共事業を増やし、失業者を減らしていくという考え方(ケインズ経済)が浸透する
- これまでのリベラルの概念を逆転させたのが、フランクリン・ルーズベルト大統領
- 以降アメリカにおいては、「大きな政府=リベラル、小さな政府=保守」となり、これが我が国日本においても直輸入されている考えとなる
ここまでの政治思想を簡単にまとめると、以下のとおりです。
「共同体(国家や家族等)を重視=保守、個人の自由と権利を追求=リベラル」
でという考え方が元々であったのが、フランクリン・ルーズベルト大統領が、以下のように本来の概念を逆転させてしまいました。
「大きな政府=リベラル、小さな政府=保守」
今回は、そこにナショナリズムとグローバリズムの観点を加えていきたいと思います。
金儲けの手段は「ものづくりから金融へ」
「世界の工場」として名を馳せたイギリスですが、19世紀末には陰りが生じてきます。綿織物など軽工業中心だったイギリスは、重化学工業を発展させたアメリカやドイツに工業製品で追い抜かれてしまったのです。
イギリスがそれでも富を生み出し続けていた理由は、「海外投資」にあります。
金儲けの手段が「ものづくり」から「金貸し」へと向かっていきました。イギリスは、「世界の工場」から「世界の銀行」へと変化します。
ロンドンは国際金融センターとなり、世界で最も金融機関がひしめく場所の一つへと発展しました。
圧倒的な経済力を背景に、ポンドが国際通貨として地位を確立したのも束の間、第一次世界大戦を経て、イギリスはその地位をドルに譲ることとなります。
世界最大の債権国として、アメリカにマネーが集中したからです。
国際金融の中心はロンドンからニューヨーク・ウォール街へと移りました。
グローバリズムの考え
金融業界の人たちは、世界中で自由に投資をするためには、国境の壁は低い方が良い、と主張します。できることなら国境を無くし、関税を取り払い、地球規模(グローバル)に人やモノやカネの中の流れをつくりたい。EU (欧州連合)ヨーロッパ諸国が国境線を廃止したようなことを、世界レベルで実現したいと考えています。これはグローバリストの考え方です。
ナショナリズムの考え
それに対して製造業界の人たちは、自由貿易には反対の立場です。彼らは、輸入製品には関税をかけ、国内産業を守ることを望んでいます。これが経済的ナショナリストの立場です。
この2つの勢力は、それぞれ別の政党を支持するようになります。アメリカで言えば、グローバリストの金融業界がリベラルの民主党支持し、ナショナリストの製造業界が保守・共和党を支持すると言う構図ができあがっています。
「草の根保守」というアメリカ独自の政治思想
アメリカの保守とは「自主独立」「孤立主義」です。
19世紀のアメリカ大統領は、基本的にはナショナリストでした。
それはアメリカという国の成り立ちと深い関係があります。
アメリカ大陸の東海岸にやってきたイギリス人は、新しい土地を求めて西へと向かい、先住民から土地を奪って勢力を広げていきました(西部開拓)。
開拓民たちは過酷な自然や先住民との戦いを通じて、「自分の身は自分で守る」という自主独立の精神を長きにわたって育んでいきます。
1783年、本国イギリスとの独立戦争を経て、アメリカ合衆国は建国しました。
19世紀前半、ロシアがアラスカから南下しようとした時、第5代大統領モンローは、「アメリカはヨーロッパ諸国には口を出さない。だからヨーロッパ諸国もアメリカ大陸には介入するな」と米欧の相互不干渉を提唱しました。これを「モンロー主義」とか「孤立主義」と言い、19世紀を通じてアメリカ外交の基本姿勢となりました。
個人の独立自尊を求める開拓民精神を「フロンティア・スピリット」と呼び、アメリカの大地に根を下ろしているという意味で、彼らを「グラスルーツ(草の根)保守」と呼びます。
なぜ、アメリカはグローバリズムへと舵を切ったのか?
このように外交においては、「自主独立」「孤立主義」を掲げ、内政においては余計な干渉を嫌う「小さな政府」だったアメリカの伝統をひっくり返ったのが、20世紀初頭のことです。
ウォール街と強く結びついていた、民主党の第28代大統領ウッドロー・ウィルソンが、ヨーロッパのゴタゴタに干渉し、第一次世界大戦に参戦を決めました。
その大きな理由は、第一次世界大戦で世界最大の債権国となっていた中、ロシア革命の勃発でロシアの戦争続行が不可能になり、ドイツが反転攻勢をかけ、連合国の勝利が危うくなりました。
ウィルソン大統領が参戦を決意したのは、連合国が敗北し、国債が紙屑になるのを恐れたからです。
ウィルソンは100年続いたモンロー主義を捨て、史上初めて米軍を欧州へ派遣し、連合国の勝利を助けました。
大戦末期には国際連盟の設立を提唱し、「アメリカは世界の警察官になる」と最初にいった大統領でした。
グローバリズムとナショナリズムのシーソーゲーム
国際連盟の設立を提唱したアメリカですが、最終的に国際連盟への加盟を拒否しました。
言い出しっぺが入らない。なぜこうしたことが起きたかというと、大戦への参戦に対する「草の根保守」層の猛反発がありました。
共和党が多数を占めていた上院は、ウィルソン大統領が署名したヴェルサイユ条約の批准を否決し、国際連盟への加盟を拒否しました。
ウィルソンがやり過ぎた反動で、1920年代には共和党の大統領が3代続き、アメリカは孤立主義に戻ります。
しかし、これまでで触れてきたとおり、世界恐慌が起きて民主党のルーズヴェルト大統領が登場すると、政府と金融資本はまた蜜月な関係に戻っていったのです。
まとめ
- 金儲けの手段が、「ものづくり」から「金融(海外投資)」にシフトしていった
- グローバリズムは、国境や関税がなくなり、ヒトモノカネが自由に地球規模で取引できることを望む層
- ナショナリズムは、輸入製品には関税をかけ、国内産業を守ることを望む層
- アメリカ合衆国には、フロンティア・スピリットの精神が育まれてきた歴史があり、「自主独立」「孤立主義」が伝統的な思想となる。(草の根保守)
- 伝統を覆してまで、第一次世界大戦に参戦した理由は、大量の債権が連合国敗北によって紙くずになってしまうことを恐れたから
- その後、グローバリズム(ウォール街金融)とナショナリズム(草の根保守)のシーソーゲームが繰り広げられる
次回は、引き続きアメリカ合衆国について、第二次世界大戦への関わり方と政治思想について見ていきたいと思います。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた明日。
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